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海水浴シーズンには大阪・京都方面から臨時列車が多数乗り入れていた。名古屋方面からもJR東海の乗り入れ急行列車「エメラルド」が設定されていた。北陸・名古屋方面と山陰を結ぶルートとしても利用され、1964年から金沢駅 - 出雲市駅間に、1966年から名古屋駅 - 出雲市駅間に小浜線・宮津線経由の急行「大社」が1982年まで、福井駅 - 天橋立駅間に「はしだて」が1982年より1992年まで運行されていた。また、1999年10月まで京都駅・東舞鶴駅 - 敦賀駅間に急行「わかさ」が運転されていたが、その後電化されるまで優等列車の運転はなくなっていた。こうした事情から「北陸と山陰との架け橋」として謳われたことがある。ただし、電化後は前述の通り休日などに一部の臨時列車が小浜駅に乗り入れる程度で、本格的な優等列車の運行はなされていない。小浜線内の拠点のひとつである小浜駅から京都駅へは湖西線経由と山陰本線経由で大差がないにも関わらず、直通列車は後者の系統のみ設定されていた。ただし、京都駅発着の急行「丹後」など直通の優等列車は小浜線内のみ各駅停車となるなど、都市間輸送と線内の地域輸送を兼ねている側面もあった。
米国には、豪華な列車に、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱うLIMITEDと呼ばれる列車が1910年代から運転されたが、「特急」にぴたりとあてはまる列車種別は無い。欧州では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクなTEE列車網が整備され、これらの列車には特別急行券を必要とした。その後はインターシティInterCity 列車に変更された。これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、かつ平均停車間隔も長いものでは100kmを超えるが、短いものでは20kmにも満たないという点で、現在のJRの特急列車に限り無く近い性質を有していると言える。21世紀の今日、欧州ではTGV、ICEなどのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心だが、かつては「ラインゴルト」、「ミストラル」、「ゴールデンアロー」、「セッテベロ」などの著名な特急列車が運転され、速度だけでなくその走行区間において、最も豪華な列車として運転されていた。これらの特急列車はほとんどが一等のみで編成され、パーラーカーや食堂車やバー、ブチックやラウンジを備えていた。これらの列車には当然特別急行券を必要としたが、他の列車より高額であったようだ。
京都駅ビルの延床面積238、000m2の内訳は、駅施設が約12000m2、ホテルグランヴィア京都が約70000m2、百貨店などの商業施設が約88000m2、「美術館・えきKYOTO」などの文化施設が約11000m2、駐車場が約37000m2、行政関係施設などが約38000m2、となっている。京都駅ビルは、規模の巨大さとデザインの斬新さにより、建設時はもちろん、建築後10年たった今日でも、その評価には賛否がある。京都駅ビルは延床面積238、000m2であり、延床面積で日本最大のJR名古屋駅のJRセントラルタワーズやJR札幌駅のJRタワーにはおよばない。JR東京駅のグラントウキョウノースタワーも増築を完了すると京都駅ビルを抜く。しかし、それら他都市の駅ビルが面積のかなりの部分を企業向けの賃貸オフィスに割いているのに対して、京都駅ビルはそうした部分をほとんど持たないことが特徴である。つまり、京都駅ビルは関係者以外でも立ち入り可能な空間が広いのである。
全域が内陸性気候であるが、北部は北陸型の日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候を併せ持つ。北部や山間部には豪雪地帯が広がり、なかでも県最北端の長浜市旧余呉町は近畿地方で唯一の特別豪雪地帯に指定されている。1927年には伊吹山山頂で積雪量11.82m、1981年には長浜市余呉町中河内で積雪量6m55cmを記録している。また比良山地東麓では比良おろしという北西の局地風があり、3月下旬に吹くものは「比良八講荒れじまい」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。県土総面積に対する自然公園面積の割合が滋賀県は37.6%で、全国1位である。滋賀県は奈良・京都・大坂への物資や人材の供給源や中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わっている。白洲正子は随筆『近江山河抄』のなかで「近江は日本の楽屋裏」述べている。